第4話≪ギター教室の出会い≫(その1) 1967年頃~ 念願の手工ギターを買うことが出来て、心ウキウキ、気分爽快! ![]() 次はギター教室探しダ! 当時ギター教室探しも情報源が少なく、横浜で暮らしていても探すには大変でした。 駅ホームの壁際の看板とか、駅前の繁華街電柱看板で探す状態でした。 目だってギター教室の案内看板が沢山有るわけでは有りません! 便利の良い場所と言う事で駅から近い場所を探したのです。 その場所は、旧国鉄と京浜急行の間に挟まれたギター教室でした。 京急仲木戸駅又はJR東神奈川駅(現在はこの場所にはギター教室は無いようです) 『大立ギター音楽園』に入門致しました。 初等科から習うわけです。 このギター教室は2階が教室で、1階は住まいとなっています。 狭い階段を上ると、 14畳ぐらいの集合練習場所と6畳程の個人指導レッスン場所が有ります。 集合練習場所で生徒は先生に呼ばれるまでギターを練習しています。 これが最悪!・・ お互いにギターを弾いているので、うるさくて練習にならない。 夏場はもっと最悪!・・ この時代は冷房設備が無く、窓を全開して外の自然風・・ 虫は室内に入って来るわ、蚊に刺されるわ、蛾は飛んでくるわの大騒ぎ! 更に悪いのが国鉄沿線と京急沿線で電車が通る度、騒音が凄い!・・・ ギターの音は電車の音で消されて、何を練習しているか分からなくなります。 このような環境でギターを習うわけです。 ギターの先生は生徒に教えるときは、時には優しく、時には厳しい、 そんな先生でしたネ。 ギター教室は他に第5教室を構えていたようです。 テキストは小倉 修:著書編「初等科ギター教室」の出版譜でした。 1年後には『カルカッシの斬新的練習曲』のテキストで指導頂きました。 初めて習った曲は『オーソレミオ』その後、『ラ・グリマ』『アデリータ』』『ギャロップ』『禁じられた遊び』『ラリアーネ』『タンゴ』 他ポピュラー曲や流行歌など・・・ 私は、歳も若かったので先頭に立って、リーダーシップを発揮してましたね。 ギター教室での行事計画を立案する時も積極的に ギター教室のギター仲間に参加を呼びかけ、協力をして頂きました。 ![]() 写真左より 2人目は大立鈴江先生、その隣は本人。 ギター教室親睦会 ![]() 右側手前は大立 晃先生 (長瀞ハイキング) ![]() 写真左より先生 ![]() ![]() 写真を見ても鈴江先生の隣の席にいたり、旗をもって誘導したりと、 活発に活動してました。 1969年12月22日ギター教室にて ≪第14回 試演会≫が開催されました。 当時のプログラムをブログに紹介致します。 プログラムの表紙 プログラムの裏(宣伝PR) 大立ギター教室の挨拶文 文書は拡大して読んでください。(画像にマウスを乗せてクリック) 回想:藤原健一氏と出演者名 弦の道への回想:大立鈴江先生 大立氏と私 中出六太郎氏(ギター製作) このプログラムはクリスマスパーティーを兼ねた演奏会で飲み物や食べ物、 クリスマス飾り付け等を生徒仲間で役割分担して準備しました。 飲食店や企業経営者の協力を借りて多少飲食物は援助して頂き、 プログラム裏に宣伝を入れたのです。 第14回試演会&クリスマスパーティー 第14回試演会で演奏するCarmen ギターを人前で演奏する度胸が有ったのです。 今考えると信じられません! 若さのせいか?・・ この時期は友人の結婚式や自分の結婚式でも、 ずうずうしくギター演奏を披露していました。 アガリ症は無かったのですから七不思議です。 親友結婚式でもギター演奏を披露 (愛のロマンスを演奏) 当時、カラオケは無く、現在の様に派手な結婚式とはチョット違い 地味な結婚式でした。 歌もあまり唄う人はいなかったです。田舎から来た賓客が民謡を 手拍子で謡います。そんな場所でギターを弾いてしまうんだから、 可也の心臓だった! こちらは本人の結婚式で下手なギターを演奏披露するんだから、 自分でも恐ろしい!・・・今じゃぁ心臓が破裂します! ![]() ![]() 結婚式で演奏した≪禁じられた遊び(愛のロマンス)≫は こちらへ・・ ![]() 次回第5話をお楽しみに・・・・ ![]() |
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カムバックぶろぐ 【ギターを持った渡り鳥】 4話
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